【インスパイア】『H』な都市伝説【5/3更新】
ようやくお恥ずかしい絵をトップから外せて安堵してます。香取犬です
えっと、前々記事あとがきの「ペースアップ」「帝後学園の春」のどちらも守れていないことについては申し訳ないです
昨年度末も新年度初めも色々慌ただしくて、時間……というより創作モチベーション自体がなかなか上がらなく……
それに『帝後学園』を読み返して、どう再開しようか――当時の自分が続きをどうしようと構想していたのか自分のことながら見失ってしまいまして、なかなか筆が進まずにいました
なので、更新が滞っている今はとにかく頭と指が動くままに任せたほうが良いんじゃないかと結論づけた次第です
ということで、なんとかスレが生き残ってるうちに間に合わせました。まあだいぶ短めなのですが
『H』な都市伝説
Inspired by としあき
目次
・双葉の場合
・未結は見た
・都市伝説と不審者情報*NEW!!
・未結の秘密*NEW!!
・あとがき
「もう、お姉ちゃんも人使い荒いんだから……」
私はアイスクリームやらおつまみやらの入ったビニール袋を片手に、明るい店員の声を背中に受けつつ明るいコンビニを出た。
「自分で買いに行けばいいのに、どうしてあの人は妹を頼るかね全くっ」
十数分前の『双葉ー、ちょっと買い物行ってきてー』と、酔いの回ったお姉ちゃんの言葉が、外に出た直後にいやにハッキリとフラッシュバックしてきた。
だからそんなふうに独り言で鬱憤を晴らさなければ、ムカムカしてしょうがなかった。
まだ少し肌寒さの残る四月の月夜を、私は軽い袋を一歩ごとに振り回して歩いて行く。
一応ここも都会とはいえ、住宅街の深夜の道は街灯も最小限にしか設けられていないし、人通りも少ない。だからこそ、こうしてぶつくさと文句を吐くことも出来る。
「やっぱ今朝の占いのせいだよ、うん。『待ち人来たれり、されど夜に注意。ラッキーカラーは黄色』……とりあえず真ん中は当たりかぁ」
週末になると必ず酔っ払って帰ってくるお姉ちゃんのことなんて私は待っていないし、今朝から髪をポニーテールに括っている黄色いシュシュは何もしてはくれない。
今日の私はお姉ちゃんにこき使われてブルーな気分。いやまあお姉ちゃんのこと、本当に大嫌いなわけじゃあないんだけど。
「とにかく帰ろ。ちょっと寒くなってきたし」
と一人呟き、早足で家への数分の道を進んでいく。
辺りは薄暗く、今は車すら通っていなくて音もしない。道の両側には生活感のある家々が並んでいるけれど、人の姿は私自身だけ。何とも言えない孤独感が、私の足を余計に早めさせた。歩道すらない細い道を何度か曲がっていく。
あと二つほど交差点を通過すれば家に着く――そう、思ったときに。
不意に電信柱の影からゆらりと誰かが姿を現して、私の行く手を遮った。
「え?」
サイズの大きな冬物の暗色のコートに膝下から身体をすっぽりと包んだ、たぶん女性。顔は下半分は立てたコートの襟に、上半分は前髪に隠されていてほとんど見えないけど、長めの髪は男性のものじゃないと思えた。背丈は私と同じか少し大きいくらい。年の頃も、丁度そんな感じ。俯き加減の彼女? は、戸惑っている私に対してくぐもった声を掛けてきた。
「黒が好き? 黄色が好き? それとも青が好き?」
何? この人。こんな夜にいきなり出てきていきなりそんなこと質問して。占い? 心理テスト? それともアンケート? 何にしても、あんまり長く関わっていたくないなぁ。
……そのとき私の頭の中に何か引っかかりがあったけれど、その正体を思い出すより早く、さっさと答えて家に帰ろうと考えたのに従って、口が動いていた。
「黄色、かな」
テレビの占いで言われたラッキーカラーを、私は呟いた。って、何でわざわざこんなよく分からない人にそんなの答えてるのよ。
「あの、私急いでるんで。それじゃ」
私は小さく会釈して、彼女? の脇を通り抜けようとした。しかしそれに対して彼女? がしたのは、まるで鳥の威嚇のように丈の長いコートをブワッと一気に開け広げることだった。それによって目の前がコートに塞がれ――ううん、それ以上に。
私の視線は、露わになった彼女の身体の方に思わず吸い寄せられた。同世代にしてはやや恵まれた体つきのその女性は、同世代ならまず着ないような古めかしくてセクシーな、真っ赤なハイレグの水着一枚だけを着込んでいたのだから。その鮮やかな色は夜闇の僅かな明かりの中でさえ、一際輝いて見えた。
見てしまったこっちの方が恥ずかしくなるような光景に、私は堪らず頬を赤くしてしまった。そんな私の視界にまたしても、信じられないようなシロモノが突きつけられる。
「な……っ」
それは、銃だった。コートを羽織ったハイレグ姿の女性が私に、おもちゃのような小型銃を向けていた。続けて彼女が言う。
「黄色が好きなのね? なら――」
理解の範疇を越えた光景の連続に、私は全く身動きが取れなかった。手を滑り落ちた買い物袋が、がさりと音を立てる。
その音のお陰で、煮えきって真っ白になっていた脳が一瞬冷静さを取り戻すことができた。そんな僅かの隙間に思い出したのは、少し前に学校で噂になっていた怪談だった。
『都市伝説? あったのそんなの』
私がそれを初めて耳にしたのは、新年度が始まってすぐの昼休み、隣のクラスからお弁当を持ってきた友達のいちごと未結からだった。いちごが顔を輝かせて話すのだけど、これまで都市伝説や七不思議なんて、この高校でも近辺でも聞いたことすらなかった。
『実はあたしもさっき聞いたばっかだけどねー』
『わたしも知りたい。けど、ちょっと怖いかも……』
少し怯えた様子の未結に『そんな怖くないって』と前置いて、いちごは語りだした――。
「都市伝説の……『H』……!」
夜道を歩く女子生徒に声を掛ける、謎の女性の話。そういえば掛けられる台詞とやらは、目の前の彼女が言ったものとほとんど同じだった。
間違いない。この人こそ『H』なんだ。
でも、いちごの話では、『H』に話しかけられても何も危害は加えられないはずなのに。私今、どう見ても銃で撃たれかけてるんだけど……!
ああ、私死んだよこれ。ごめんお姉ちゃん、おつまみは持って帰れないから我慢してね。
そう心のなかで諦めて、せめて自分を殺す『H』の顔を目に焼き付けて、来世まで呪ってやろうと思ったのだけど。
いちごの口から都市伝説を聞き終えた私と未結は、話が本当に荒唐無稽すぎて信じるどころか怖がろうという気にすらなれなかった。
それでも他の女子校生たちには魅力的だったようで、私のクラスメートたちがわらわらといちごの周りにやって来て、いちごと同じようなワクワク顔でより詳しい話を聞き出そうとするのだった。
私と未結は顔を見合わせ、決まりが悪そうに苦笑いをした。
『双葉もやっぱり、信じられない?』
『まあ、ねぇ。作り話にしてももう少し面白く出来たでしょ』
そんな私たちと同意見の人物が、教室の中にはもう一人いたらしかった。
『いるわけないじゃない。そんなの』
いつも真面目な学級委員長、季子らしい言葉だった。
「――双葉も黄色のハイグレ人間になりなさい」
言い切られると同時に、銃口からピンク色をしたビームが発射される。
その光の向こうで『H』は……ううん、
「季子……!」
私のクラスメートの季子は、季子らしからぬハイレグ水着姿を見せつけつつ、にやりと笑っていたのだった。
私には分からなかった。まさか季子が……怪談を、『H』を否定していた季子自身が、『H』その人だったなんて。
直後、私の疑問と絶望ごと、ピンクの光が私を飲み込んだ。
「きゃあああああああああああ!」
*
「――それとも青が好き?」
「黄色、かな」
「黄色が好きなのね? なら――」
よくは聞き取れなかったけど聞き覚えのある声が、交差点の向こうからした。わたしは友達の誰かだろうと当たりを付けて、暗がりの角を曲がろうとする。
だけどその足は、交差点を踏み越える前に立ち止まったのだった。それより早く、わたしの目には友達二人が喧嘩しているような姿が見えたから。
「双葉と……季子かな?」
……明日提出の宿題のワークブックを学校に忘れて来ちゃって、それを取りに行こうと夜道を歩いていた最中に、まさかこんなところに出くわすなんて。運がいいのか悪いのか。友達と会ったことは良くても、タイミングは最悪だったかも。
一応向こうに気付かれないように角に身を隠して、そっと様子を窺ってみる。一歩退いた体勢で怯えているのは双葉で、冬物コートの背中が見えているのは、声からしても多分季子だと思う。
でも、何で二人がこんな夜にこんなところにいるんだろう。しかも、様子も普通じゃない。
「季子……!」
絞りだすような双葉の声。双葉の目には何が映っているのかな。
わたしにも謎の緊張が伝わってくる。すると次の瞬間、
「きゃあああああああああああ!」
双葉はいきなりピンク色の光に包まれて、悲鳴を上げた。薄暗がりの中にいきなり花火のような明るい球が現れたから、驚いて目を覆ってしまう。
「うぅっ」
瞼の裏が虹のように何色かに輝く。焼き付いた光のせいのその現象が少し収まってきたかなと思った頃に、再び双葉の声が聞こえてきた。
「……は、ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
何だか同じ単語を繰り返し叫んでいるみたい。それもすごく必死に。一体双葉に何が起こったのか、わたしは目を開けて確かめることにした。
そして見た光景に、わたしは喉の奥から悲鳴を上げかけて、でも慌てて両手で口を抑えた。
「ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
さっきまで薄着だけど普通の格好をしていた双葉なのに、今はどうしてか黄色い水着姿になっていた。それも腰の辺りまで切れ上がったハイレグの水着で、そのVラインを両腕でなぞりながら「ハイグレ!」と叫ぶたびに、双葉は更に恥ずかしそうに頬を染めていく。
わたしの顔も、ボッと沸騰してしまう。あれはもう、恥ずかしいって言葉を超えてるよ……。
そう思うと、顔だけじゃなく体全体が熱く熱く燃え上がっていく。じわりじわりと筋肉や内臓に血が巡っていって、その鼓動に耐え切れなくなって自分自身を思い切り抱きしめた。
腰から力が抜けてしまったので塀に背中を預けると、そのままずるずると地面に尻もちをついてしまう。体育座りの体勢で身を屈めながら、わたしは両耳に意識を集中させる。
「ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
数十秒前よりも心なしか弾んだ双葉の声が、鼓膜をリズムよく揺らしてきた。
双葉を助けなきゃとか、コートを着た季子らしき犯人に自分も見つかりはしないかとか、あと学校の忘れ物のことも全部全部頭から吹っ飛んでしまう。そんなのがどうでも良くなるくらい、あの光景が衝撃的すぎた。
ねぇ、どうして?
「なんでわたし……こんなに……!」
一過性の熱が収まった後に恐る恐る角の向こうを確認してみたけれど、街灯の下には双葉の姿も犯人の姿もなくなっていた。それもそうだよね、と少し溜め息。
今更宿題を取りに行こうとも思えなくて、家へ帰る最中にさっきのが何だったのかを考えてみた。そうして思い当たったのは、この前いちごが話していた都市伝説だった。
「もしかして、あれが『H』だったのかな?」
でもあんなおかしな噂、本当にあるはずがない。双葉が変身したことも丸々含めて全部、わたしの見間違いだったというほうがいくらかあり得る。
いちごの話? それとも自分の目? 一体どっちを信じたらいいのか、分からなかった。
「……どうしよう」
帰ったらいちごに電話してみよう。あと、お母さんにも「不審者に会った」ってくらいは言っておかなきゃ。
*
「――最近学校の周囲で不審者の目撃情報が相次いでいる。うちの生徒にも不審者に遭遇した者が居ると聞く。幸い今のところそれ以上の被害は報告されていないが、危険がないとは言い切れない。いいか、夜道にはくれぐれも注意するんだぞ。……では、ホームルームを終了する。気を付けて帰るように」
この、都心に構えるとある女子校では今、不可思議な怪談がまことしやかに囁かれていたのだった。
生徒たちにも人気のある男性担任が教室を去った後、クラスの話題はそれ一色となった。
「ほら言ったじゃん! やっぱり噂はホントなんだって!」
好奇心が旺盛なムードメーカー、いちごが声を上げる。それに対し、席が前の真奈は眼鏡の奥の目を所在なさげに漂わせ、小さく呟く。
「どうしよう……もしも出会ったら私……」
「ねえ! 未結も昨日会ったんだよね? そいつ――『H』に!」
いちごに名前を呼ばれてビクリと肩を震わせたのが、小柄な未結である。
「あ、会ったって言っても一瞬見ただけだよ。怖くなってすぐ逃げちゃったから……」
真奈が、恐怖半分興味半分に未結に訊ねる。
「本当にあの、『H』だったの? もしかしてあの台詞を聞いたの?」
「そう、だけど……」未結は頷きかけてしかし困ったように、「でも、よく覚えてないし。夢とか、勘違いだったかもしれないから」と続けた。
「きっとそうよ。そうに決まっているわ。ええ」
真奈はそう自分に言い聞かせた。対していちごは「いやいや、『H』に間違いないでしょー」と不審者情報を面白がっているのだった。
学校に『H』の話題が出始めたのは二週間ほど前、新年度が始まったばかりのころだった。しかし、今では生徒の多くがその名を知る、都市伝説となっていた。
曰く……女子生徒が夜道を一人で歩いていると、突然背後からおそらく女のものであろう声が掛けられる。それに返事をして振り向くと、コートに身を包んだ何者かが立っている。そいつ――誰が呼んだか『H』――は次にこのように言うのだ。『赤が好き? 白が好き? 青が好き?』と。ここまではよくある怪談なのだが、不思議なのはこの問いに対して回答しても無視しても、問われた側は何の被害も受けないらしいということ。それというのも、次の日被害者らは口を揃えて『何でもない』とはぐらかすからだと言う。彼女たちの様子にも容姿にも別段おかしなところはなく、故に『H』には何もされていないと判断せざるを得ないのだ。だがしかし、『H』に出くわした者の数は確実に毎晩増えているらしい……。
そういう話なのだが、被害者が何も情報を漏らさないならば一体どのようにして『H』の存在が広まったのか、などといった都市伝説にありがちな矛盾点も存在し、結局噂は噂なのだと思われていた。しかし先生の口から不審者出没注意の話が出てしまっては、少なくとも『H』がいることだけは真実なのではないかと思えてしまっても無理はなかった。
加えて同日朝、このクラスにも『H』らしき人物を見たという者が現れていた。それが未結だった。未結自身は被害者ではなく、昨晩偶然にも例の台詞を曲がり角の向こうから聞いてしまっただけなのだという。
いちごは未結の煮え切らない証言を元に、こんな推理を繰り出した。
「……実は未結は本当は被害者で、だから『H』の話をはぐらかしてる! そうでしょ!?」
「ち、違うよ! あれが『H』かは分からないけど、少なくともわたしがやられたわけじゃないよ……」
「いちご、もうそれくらいにしてよ。未結は否定してるのだし、こんな話をしても意味なんて――」
「おやあ? もしかして真奈、怪談苦手系?」
しめしめと笑って真奈の顔を覗きこむが、磁石が反発するようにそっぽを向かれてしまう。
「そ、そうじゃないわ! ただ私は塾があって帰りが遅いから、不審者には会いたくないと思ってるだけよ!」
「だったら余計に話を聞いとくべきじゃない? 己を知り敵を知れば……何だっけ?」
「……そのことわざは今は関係ないと思うけれど」
「とにかく! あたしは未結から色々聞きたいの! さあ未結っ、洗いざらい白状してもらおうか!」
真奈のツッコミにもめげずにいちごは食い下がる。未結は余りの剣幕に顔を引き攣らせた。
しかしその盛り上がりに水を差す声が掛かった。
「――アホくさ」
つまらなそうに息を吐き、ガタンと椅子を鳴らして立ち上がったのは、波打つ長髪を茶に染めた晶であった。晶は校内でも名を知らぬ者はいないほどの問題児であった。その素行の悪さは教師たちが染髪などに対する指導を諦めたという事実が物語っている。また、毎晩のように夜遊びをしており、他校の男子不良グループともつるんでいた。
彼女は学校に来るのも珍しく、他のクラスメイトたちも晶のことは腫れ物扱い。そんな晶の突き刺すような一言には、如何ないちごであっても鎮まらざるを得なかった。
晶の落書きだらけの上履きが床を叩く音がする。そうして手提げ鞄をリュックサックのように背負った彼女は、教室から出て行った。
やがて、押し黙ってしまった皆が息を吹き返す。
「……ふぅ……びっくりした」
いちごの嘆息に、真奈と未結も同調する。
「あまり口にすべきではないけれど……私は彼女のこと、ちょっと苦手」
「わたしも。なんか、近づきづらくて……」
「晶、もう少し真面目に出来ないのかなー。真奈ほどじゃなくていいけど」
「それどういう意味よ!」
余計な一言に憤慨した真奈を見て笑ってから、未結は辺りをきょろきょろと気にしつつ立ち上がった。それに対し、いちごは真奈から顔を背けて訊ねる。
「どしたの?」
「ちょ、ちょっとおトイレに」
「じゃあついでにあたしも――」
「いいよ! 一人で行く!」
と言い切って、未結は教室を飛び出していった。
真奈は未結の背を追うために動いた視界に、時計を認めた。時刻は、真奈の通う塾の開講時間に近づいていた。彼女はこれ以上いちごに怒りを燃やすのをやめ、荷物を鞄に詰めだすのだった。
「あ。真奈、塾か」
「そうよ。悪いけど先に帰るわね」
「オッケー。あたしは未結のこと待ってるから」
そう別れを交わして、真奈は下校していく。
クラスメートは未だ数人教室内に残っていたが、いちごは未結が戻るまでの時間をお喋りで潰すことを選ばなかった。いたずらっ子のようにニヤニヤと笑いながら、抜き足差し足で廊下を歩く。
*
一日中、身体がムズムズして痒かった。普段よりも一枚余計だから、暑くて汗で気持ち悪かった。
でも代わりにずっと、恥ずかしさに近いドキドキを味わうことが出来たけど。
「……っはぁ……」
わたしはトイレの個室に駆けこむなり冬服のブレザーとワイシャツを脱ぎ捨てて、オレンジ色のワンピース水着の上半身を晒した。汗ばんだ首筋や脇の下、背中が空気に触れてひんやりとする。ただ、高校生の平均程度に膨らんだ胸の辺りには、湿った水着が張り付いてしまっている。
一息ついてからスカートを下ろす。普通の下着は今日は着て来てないから、こちらも脱ぐとすぐに水着だった。
制服たちを閉じた便座の蓋の上に畳んで置き、わたしは狭いスペースの限りにあのポーズの体勢を取った。
「……ハイグレ、ハイグレ」
どうしてこんなことで背筋がゾクゾクしてるのか。それはわたし自身でも分からない。
分かるのはその切っ掛けが、昨日の夜見たあの光景だってこと。
『H』と思われる人に双葉は黄色の水着姿にされて、「ハイグレ!」という掛け声と水着の足ぐりを両手でなぞるポーズを繰り返しするようになってしまった。それを偶然見てしまったわたしは、友人や自分の身の危険など蚊帳の外で、心のなかに変態じみた欲望が湧き上がってくるのを感じていた。
――わたしも、ああなってみたい。あれをしてみたい。
のぼせた意識を取り戻すとわたしは家に帰って、お母さんに「不審者に会ったから引き返してきた」と説明し、続けて「もう寝るから」と自分の部屋に近づかないよう釘を刺した。そして部屋に引きこもってから、噂話好きの親友、いちごにケータイから電話を掛けてみた。いちごが応答した受話器からは、時折車の走る音が聞こえてきた。ただそのとき確証のないこと――被害者が双葉であることや、『H』が季子に見えたこと、それと水着とポーズについて――は言わず、単に不審者に出くわした、とだけ報告した。わたしは『H』の都市伝説についてよく知らなかったから、きっと何も言わなくてもいちごが色々説明してくれると思ったのだった。予想は当たり、いちごが興奮気味に教えてくれた話と照らし合わせてみると、やっぱりあれは『H』だったらしかった。
昨日見たこと全てを現実だったと認めることはまだ出来ないけれど、とにかくわたしの中に芽生えた感情だけは嘘ではなかった。「また明日」と電話を切ってから押入れの衣装箪笥から取り出したのは、中学生の頃にレジャープールとかに着て行っていたオレンジ一色のワンピース水着。本当は腰に巻く用の同じ素材のスカートも付属しているけど、それは仕舞ったままにしておいた。
幸か不幸か、わたしの身長は当時と比べてもそんなに高さに差がない。強いて言えばちょっと胸は大きくなったけど。だから水着も、完全にぴっちりとしてしまってはいるもののなんとか着ることは出来たのだった。
そこまでは覚えてる。そこからは多分、また気を失っていたんだと思う。だって気がついたら朝で、わたしは水着を着たままベッドの上で大の字になっていたんだから。
目が覚めた後も水着を着ていたい欲が勝って、わたしはこうして制服の下に着込んできてしまった。汗は暑さだけじゃなく、緊張のせいでもあったんだと思う。
でも今はトイレの個室。小学生の男の子じゃないんだから、鍵の締まったトイレの中を覗きこんでくるような人はいない。だから声にさえ気をつければ安心して水着姿になることが出来る。まあ、異常に長い時間籠っていたら不審がられるかもしれないけど。
意識を失うまで気持ちよさにのめり込むことだけはしないよう、気を付けつつ。
「……ハイ、グレ、ハイ、グレ」
妄想の中の双葉と同じポーズを何度もとる。湿った水着が身体にサリサリと擦りつけられて、そうされた部分が熱を帯びていく。
感覚が研ぎ澄まされて首から下に集中していく代わりに、目の前がぼうっとぼやけて頭にも靄がかかっていった。この感じは、ダメなやつ。
――このままじゃまたトんじゃう。
でも、意識の不確かな脳の出した「止まれ」という命令は、ハイグレのポーズを繰り返す身体には聞き入れてもらえなかった。
「ハイグレ、ハイグレ……!」
お願い止まって! こんな所で、こんな格好で……こんな、時、に――
「――未結発けー……ん? んん!?」
頭上から降り注いだ声に、わたしは咄嗟に首を上げた。そしてハッキリした視界に、いちごの驚く顔を捉えたのだった。わたしといちごの視線が正面から交錯する。
「い、ちご……!」
多分、わたしの表情は絶望に凍りついていたと思う。それでいて頭の中だけはフル回転。どう取り繕えばこの場を乗りきれるだろう。息をするのも忘れて、一瞬のうちに考えた。
事実としてもう水着姿でトイレにいる場面は見られてしまった――っていうか何でいきなり隣の個室から壁越しに身を乗り出して来るのよ――のだから、それは覆せない。とすると水着を来ていても変じゃない理由が必要なんだけど、今は夏のプールの時期でもないし、スイミングスクールに通っているわけでもないから、そういう真っ当にして真っ赤なウソは使えない。かと言って水着姿で変なポーズするのが気持ちいいんですなんて白状したら日には口の軽いいちごのこと、わたしは学校の中から居場所を失うことになる。それだけは絶対にダメだ。……そうだ、そもそもこうなったのは昨日の『H』のせい。双葉のように『H』にやられたんだと言えばいい。うん、そうしよう。
「えっと、これは……ね」
「これは?」
「……『H』に」
「『H』に?」
ここまで言ってまた詰まる。昨日も今日も、わたしは『H』には直接会ってないという設定で通している。なのにこの期に及んでそれをひっくり返したら、少なくとも大嘘つきであることを認めたことになる。加えて双葉まで――今日見かけたときには普段通りを装っていた双葉まで――巻き込んで迷惑を掛けることになるかもしれない。
なら、どうしよう。もうわたしが幾らかは嘘をついたことは認めるしかない。その上で本当のことを少し話しつつ更に嘘を重ねて、いちごを騙してこの場を凌ぐ。そうするしかない。
意を決し、わたしは続きを口にした。
「『H』にやられないようにするための、対策なの」
「対策!? 水着が!? ねぇどういうこと未結っ!」
予想通り食いついてきたいちご。どうか騙しきれますようにと心のなかで呟いて、
「先に謝らせて。わたし、ちょっと嘘ついてた。ごめんなさい」
いちごの頭に「?」が浮かぶ。それから思い切って壁と天井との隙間を乗り越えてくると、わたしの個室内に勢いよく着地してきた。ただでさえ狭いスペースが更に窮屈になる。だけどいちごはそんなことを気にする様子もなく、続きをせがんできた。
「昨日本当にわたしが見たのは、『H』が誰かに話しかけているところだったの。夢とか幻じゃなくて、あれは間違いなく『H』だった」
「だろうねー。あたしは最初から信じてたし。未結が見たのは『H』だったって」
あ、あれ? 怒られなかった。まあいいや、ここからが腕の見せどころだ。
「それで、ここからは隠してたことなんだけど。『黒が好き? 黄色が好き? それとも青が好き?』、そう『H』に聞かれた相手の女の子は、あることをしてみせた。そうしたら、『H』はそれ以上何もしないで去っていったの」
「あること?」
「……えっとね。その子はいきなり着ていた服を脱いで、黄色のワンピースの水着姿になったんだ」
「未結と同じだ!」
その茶々にわたしは一瞬怯む。
「そ、そして『H』に向かって、『ハイグレ!』って叫んで――こういうポーズをしたの」
大股を開いて水着の線をなぞる動きを、友達に見せつける。とんでもなく恥ずかしかったけど、背に腹は代えられない。さしものいちごも、これにはキョトンとしてしまう。
「……本当に?」
「本当っ! こんなこと言っても信じてくれないだろうから、黙ってたけど……」
よし、これで隠し事の大義名分が出来た。あとはいちごが信じてくれるかだけど。
「――ううん、信じる。多分その人も未結みたいに、『H』対策の方法を知ってたんだ。だから夜出歩くときに水着を着込んでた。なるほどねー……」
上手く行った! こんな突拍子もない話を、いちごは自分で勝手に納得してくれたみたいだった。
安心のせいでつい笑いそうになるのをこらえて、わたしは何度も頷く。いちごの推理は続く。
「それで未結も真似して、『H』対策をしてたってことね。『H』も目撃者がいるって知ったら、きっとすぐにでも襲ってくるだろうし」
「そ、そう! ちゃんと練習しておかないといけないから」
「けど……こんなことで『H』が帰ってくれるなんてビックリ仰天だよ。『ハイグレ』、だっけ? 遭ったらそれを唱えればいいんだ?」
「あと、こういうワンピースの水着で、こういうポーズも」
わたしはもう一度、スッとハイグレの動きをしてみせた。するといちごは少し視線を逸らして、
「改めて見るとめっちゃ恥ずかしいポーズじゃん。未結は平気なの?」
「へ、平気なわけないよっ!」
危ない危ない、なんだかもう自分の中でハイグレポーズをすることが普通になっているみたいだった。
いちごは何かを思い出すように腕を組んで、天井を見上げる。口が「うちにあったかな……」という呟きを漏らし、それから大きく頷いて言った。
「でも良かった。これで安心してやれるし」
「何を?」
「何って、決まってるじゃん!」ビシッと指をこちらに突きつけて、「『H』探し! あたし、昨日も学校周辺を調査してたんだ。正直本当に『H』に遭ったらどうしようとは思ってたんだけど、これで今晩からはいつ遭っても大丈夫でしょ?」
自信満々に宣言するいちご。つまり、不審者を探して夜出歩くけど、もしも遭ったときのために水着を着込んでおくってこと? その対策は、わたしの完全な出任せなのに。
脳裏に、『H』に出くわして水着を晒し、それでも問答無用であのピンクの光線を浴びせられるいちごの姿が浮かんできた。そうだよ、そうなるに決まっているのに。
でも今更また撤回なんて出来ない。すっかり対策を信じきってしまったいちごを止めることは、もう出来ない。
「あとは、このことは皆に教えなきゃ。『H』を怖がってる子、意外と多いっぽいからねー」
「そうだったの?」
「まあね。やっぱ正体不明って怖くない? けどさ、対処法さえ分かってれば、どんだけ恥ずかしくても怖くはないし。――さ、教室にはどんだけ残ってるかなっと!」
「え、ちょっ――」
嬉しそうに勢い良く個室のドアを開け放ち、トイレを駆けて出て行くいちご。その足音を耳にして、わたしは一人水着姿で後悔をした。
わたしはもしかしたら、とんでもない嘘をついてしまったのかもしれない。
*続く*
今回のインスパイア元レス様は(記事更新時の現行スレの)、
としあき 15/04/19(日)20:33:17 No.20251932
及びここまでの「不審者」「都市伝説」系の流れの書き込みをされた方々です。ありがとうございます
インスパイアと言うほど流れを汲めた内容になっていないのですが、それは実はこの部分が「前日譚」だからです。つまりこの後に本編があるのです
初めにレスから設定を組んで2000字ほど序盤を書き進めたものの、それよりまずその前日譚があった方がいいなと思い中断してそれを書き上げた、という経緯です
なので後日公開の本編の冒頭部分はまさに"物語の書き出し"っぽい書き方になっています。多分修正しないので断っておきます
本編ではちゃんとレスにあったようなシーンを書きますので、しばらくお待ち下さい
……急ごしらえの走り書きの文章の出来って、ひと目で分かるくらい粗雑ですね……。本編ではもう少し頑張ります
自分も、とっしーの無限の妄想力&行動力にはいつもいつも助けてもらっています
改めて感謝の意をば!
ハイグレサボテンもすごくいいですな。けど、どうしても怪人系は文字媒体では描きづらいですからね
自分は自分にしたいこと出来ることで、読者様方に妄想を作品の形にして還元していきたいなと思っています
……うーん。こういう綺麗事こそブログ一周年記事で言うべきなような。まあいいか
もうすぐブログ開設一周年ですが、半年記念や映画21周年記念ではスクリプトを組んだくせに、今回ははっきり申し上げて何も用意してないです
ちょっと目論んでいたことはあったんですけどね。上手く行きませんでした
なのでせめて『都市伝説』か『帝後学園』かその他の続きかを更新できればなと考えています
もちろんそれまでに書き上げられれば、勿体ぶらずにアップします
ではまたー
一周年に合わせての更新です
スレに上がったネタをまとめているメモを見ていたら、既に2年近く前に都市伝説の(しかもこの前のレスとほぼクリソツな内容の)レスがありましたので、ヘッダーだけご紹介します
としあき 13/06/30(日)01:00:34 No.18761238
歴史は繰り返すと言うかなんというか。もしかして書いた方は同一人物なんでしょうか
更にこちらからは、「光線への対処法は前もって水着を着込むこと」という案をいただきました。正確にはメモ確認の際に完全なるネタかぶりに気付いたので掲載します
としあき 14/07/19(土)00:10:13 No.19700584
本当はもう少し、あるいは最後まで書き進めるつもりだったのですが、結局間に合わなかったのでここまでとさせていただきます
話のキモとなるのはここからですね。さて、いちごは今晩どうなるのでしょう
続きはもうしばらくお待ちくださいです
えっと、前々記事あとがきの「ペースアップ」「帝後学園の春」のどちらも守れていないことについては申し訳ないです
昨年度末も新年度初めも色々慌ただしくて、時間……というより創作モチベーション自体がなかなか上がらなく……
それに『帝後学園』を読み返して、どう再開しようか――当時の自分が続きをどうしようと構想していたのか自分のことながら見失ってしまいまして、なかなか筆が進まずにいました
なので、更新が滞っている今はとにかく頭と指が動くままに任せたほうが良いんじゃないかと結論づけた次第です
ということで、なんとかスレが生き残ってるうちに間に合わせました。まあだいぶ短めなのですが
『H』な都市伝説
Inspired by としあき
目次
・双葉の場合
・未結は見た
・都市伝説と不審者情報*NEW!!
・未結の秘密*NEW!!
・あとがき
「もう、お姉ちゃんも人使い荒いんだから……」
私はアイスクリームやらおつまみやらの入ったビニール袋を片手に、明るい店員の声を背中に受けつつ明るいコンビニを出た。
「自分で買いに行けばいいのに、どうしてあの人は妹を頼るかね全くっ」
十数分前の『双葉ー、ちょっと買い物行ってきてー』と、酔いの回ったお姉ちゃんの言葉が、外に出た直後にいやにハッキリとフラッシュバックしてきた。
だからそんなふうに独り言で鬱憤を晴らさなければ、ムカムカしてしょうがなかった。
まだ少し肌寒さの残る四月の月夜を、私は軽い袋を一歩ごとに振り回して歩いて行く。
一応ここも都会とはいえ、住宅街の深夜の道は街灯も最小限にしか設けられていないし、人通りも少ない。だからこそ、こうしてぶつくさと文句を吐くことも出来る。
「やっぱ今朝の占いのせいだよ、うん。『待ち人来たれり、されど夜に注意。ラッキーカラーは黄色』……とりあえず真ん中は当たりかぁ」
週末になると必ず酔っ払って帰ってくるお姉ちゃんのことなんて私は待っていないし、今朝から髪をポニーテールに括っている黄色いシュシュは何もしてはくれない。
今日の私はお姉ちゃんにこき使われてブルーな気分。いやまあお姉ちゃんのこと、本当に大嫌いなわけじゃあないんだけど。
「とにかく帰ろ。ちょっと寒くなってきたし」
と一人呟き、早足で家への数分の道を進んでいく。
辺りは薄暗く、今は車すら通っていなくて音もしない。道の両側には生活感のある家々が並んでいるけれど、人の姿は私自身だけ。何とも言えない孤独感が、私の足を余計に早めさせた。歩道すらない細い道を何度か曲がっていく。
あと二つほど交差点を通過すれば家に着く――そう、思ったときに。
不意に電信柱の影からゆらりと誰かが姿を現して、私の行く手を遮った。
「え?」
サイズの大きな冬物の暗色のコートに膝下から身体をすっぽりと包んだ、たぶん女性。顔は下半分は立てたコートの襟に、上半分は前髪に隠されていてほとんど見えないけど、長めの髪は男性のものじゃないと思えた。背丈は私と同じか少し大きいくらい。年の頃も、丁度そんな感じ。俯き加減の彼女? は、戸惑っている私に対してくぐもった声を掛けてきた。
「黒が好き? 黄色が好き? それとも青が好き?」
何? この人。こんな夜にいきなり出てきていきなりそんなこと質問して。占い? 心理テスト? それともアンケート? 何にしても、あんまり長く関わっていたくないなぁ。
……そのとき私の頭の中に何か引っかかりがあったけれど、その正体を思い出すより早く、さっさと答えて家に帰ろうと考えたのに従って、口が動いていた。
「黄色、かな」
テレビの占いで言われたラッキーカラーを、私は呟いた。って、何でわざわざこんなよく分からない人にそんなの答えてるのよ。
「あの、私急いでるんで。それじゃ」
私は小さく会釈して、彼女? の脇を通り抜けようとした。しかしそれに対して彼女? がしたのは、まるで鳥の威嚇のように丈の長いコートをブワッと一気に開け広げることだった。それによって目の前がコートに塞がれ――ううん、それ以上に。
私の視線は、露わになった彼女の身体の方に思わず吸い寄せられた。同世代にしてはやや恵まれた体つきのその女性は、同世代ならまず着ないような古めかしくてセクシーな、真っ赤なハイレグの水着一枚だけを着込んでいたのだから。その鮮やかな色は夜闇の僅かな明かりの中でさえ、一際輝いて見えた。
見てしまったこっちの方が恥ずかしくなるような光景に、私は堪らず頬を赤くしてしまった。そんな私の視界にまたしても、信じられないようなシロモノが突きつけられる。
「な……っ」
それは、銃だった。コートを羽織ったハイレグ姿の女性が私に、おもちゃのような小型銃を向けていた。続けて彼女が言う。
「黄色が好きなのね? なら――」
理解の範疇を越えた光景の連続に、私は全く身動きが取れなかった。手を滑り落ちた買い物袋が、がさりと音を立てる。
その音のお陰で、煮えきって真っ白になっていた脳が一瞬冷静さを取り戻すことができた。そんな僅かの隙間に思い出したのは、少し前に学校で噂になっていた怪談だった。
『都市伝説? あったのそんなの』
私がそれを初めて耳にしたのは、新年度が始まってすぐの昼休み、隣のクラスからお弁当を持ってきた友達のいちごと未結からだった。いちごが顔を輝かせて話すのだけど、これまで都市伝説や七不思議なんて、この高校でも近辺でも聞いたことすらなかった。
『実はあたしもさっき聞いたばっかだけどねー』
『わたしも知りたい。けど、ちょっと怖いかも……』
少し怯えた様子の未結に『そんな怖くないって』と前置いて、いちごは語りだした――。
「都市伝説の……『H』……!」
夜道を歩く女子生徒に声を掛ける、謎の女性の話。そういえば掛けられる台詞とやらは、目の前の彼女が言ったものとほとんど同じだった。
間違いない。この人こそ『H』なんだ。
でも、いちごの話では、『H』に話しかけられても何も危害は加えられないはずなのに。私今、どう見ても銃で撃たれかけてるんだけど……!
ああ、私死んだよこれ。ごめんお姉ちゃん、おつまみは持って帰れないから我慢してね。
そう心のなかで諦めて、せめて自分を殺す『H』の顔を目に焼き付けて、来世まで呪ってやろうと思ったのだけど。
いちごの口から都市伝説を聞き終えた私と未結は、話が本当に荒唐無稽すぎて信じるどころか怖がろうという気にすらなれなかった。
それでも他の女子校生たちには魅力的だったようで、私のクラスメートたちがわらわらといちごの周りにやって来て、いちごと同じようなワクワク顔でより詳しい話を聞き出そうとするのだった。
私と未結は顔を見合わせ、決まりが悪そうに苦笑いをした。
『双葉もやっぱり、信じられない?』
『まあ、ねぇ。作り話にしてももう少し面白く出来たでしょ』
そんな私たちと同意見の人物が、教室の中にはもう一人いたらしかった。
『いるわけないじゃない。そんなの』
いつも真面目な学級委員長、季子らしい言葉だった。
「――双葉も黄色のハイグレ人間になりなさい」
言い切られると同時に、銃口からピンク色をしたビームが発射される。
その光の向こうで『H』は……ううん、
「季子……!」
私のクラスメートの季子は、季子らしからぬハイレグ水着姿を見せつけつつ、にやりと笑っていたのだった。
私には分からなかった。まさか季子が……怪談を、『H』を否定していた季子自身が、『H』その人だったなんて。
直後、私の疑問と絶望ごと、ピンクの光が私を飲み込んだ。
「きゃあああああああああああ!」
*
「――それとも青が好き?」
「黄色、かな」
「黄色が好きなのね? なら――」
よくは聞き取れなかったけど聞き覚えのある声が、交差点の向こうからした。わたしは友達の誰かだろうと当たりを付けて、暗がりの角を曲がろうとする。
だけどその足は、交差点を踏み越える前に立ち止まったのだった。それより早く、わたしの目には友達二人が喧嘩しているような姿が見えたから。
「双葉と……季子かな?」
……明日提出の宿題のワークブックを学校に忘れて来ちゃって、それを取りに行こうと夜道を歩いていた最中に、まさかこんなところに出くわすなんて。運がいいのか悪いのか。友達と会ったことは良くても、タイミングは最悪だったかも。
一応向こうに気付かれないように角に身を隠して、そっと様子を窺ってみる。一歩退いた体勢で怯えているのは双葉で、冬物コートの背中が見えているのは、声からしても多分季子だと思う。
でも、何で二人がこんな夜にこんなところにいるんだろう。しかも、様子も普通じゃない。
「季子……!」
絞りだすような双葉の声。双葉の目には何が映っているのかな。
わたしにも謎の緊張が伝わってくる。すると次の瞬間、
「きゃあああああああああああ!」
双葉はいきなりピンク色の光に包まれて、悲鳴を上げた。薄暗がりの中にいきなり花火のような明るい球が現れたから、驚いて目を覆ってしまう。
「うぅっ」
瞼の裏が虹のように何色かに輝く。焼き付いた光のせいのその現象が少し収まってきたかなと思った頃に、再び双葉の声が聞こえてきた。
「……は、ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
何だか同じ単語を繰り返し叫んでいるみたい。それもすごく必死に。一体双葉に何が起こったのか、わたしは目を開けて確かめることにした。
そして見た光景に、わたしは喉の奥から悲鳴を上げかけて、でも慌てて両手で口を抑えた。
「ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
さっきまで薄着だけど普通の格好をしていた双葉なのに、今はどうしてか黄色い水着姿になっていた。それも腰の辺りまで切れ上がったハイレグの水着で、そのVラインを両腕でなぞりながら「ハイグレ!」と叫ぶたびに、双葉は更に恥ずかしそうに頬を染めていく。
わたしの顔も、ボッと沸騰してしまう。あれはもう、恥ずかしいって言葉を超えてるよ……。
そう思うと、顔だけじゃなく体全体が熱く熱く燃え上がっていく。じわりじわりと筋肉や内臓に血が巡っていって、その鼓動に耐え切れなくなって自分自身を思い切り抱きしめた。
腰から力が抜けてしまったので塀に背中を預けると、そのままずるずると地面に尻もちをついてしまう。体育座りの体勢で身を屈めながら、わたしは両耳に意識を集中させる。
「ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
数十秒前よりも心なしか弾んだ双葉の声が、鼓膜をリズムよく揺らしてきた。
双葉を助けなきゃとか、コートを着た季子らしき犯人に自分も見つかりはしないかとか、あと学校の忘れ物のことも全部全部頭から吹っ飛んでしまう。そんなのがどうでも良くなるくらい、あの光景が衝撃的すぎた。
ねぇ、どうして?
「なんでわたし……こんなに……!」
一過性の熱が収まった後に恐る恐る角の向こうを確認してみたけれど、街灯の下には双葉の姿も犯人の姿もなくなっていた。それもそうだよね、と少し溜め息。
今更宿題を取りに行こうとも思えなくて、家へ帰る最中にさっきのが何だったのかを考えてみた。そうして思い当たったのは、この前いちごが話していた都市伝説だった。
「もしかして、あれが『H』だったのかな?」
でもあんなおかしな噂、本当にあるはずがない。双葉が変身したことも丸々含めて全部、わたしの見間違いだったというほうがいくらかあり得る。
いちごの話? それとも自分の目? 一体どっちを信じたらいいのか、分からなかった。
「……どうしよう」
帰ったらいちごに電話してみよう。あと、お母さんにも「不審者に会った」ってくらいは言っておかなきゃ。
*
「――最近学校の周囲で不審者の目撃情報が相次いでいる。うちの生徒にも不審者に遭遇した者が居ると聞く。幸い今のところそれ以上の被害は報告されていないが、危険がないとは言い切れない。いいか、夜道にはくれぐれも注意するんだぞ。……では、ホームルームを終了する。気を付けて帰るように」
この、都心に構えるとある女子校では今、不可思議な怪談がまことしやかに囁かれていたのだった。
生徒たちにも人気のある男性担任が教室を去った後、クラスの話題はそれ一色となった。
「ほら言ったじゃん! やっぱり噂はホントなんだって!」
好奇心が旺盛なムードメーカー、いちごが声を上げる。それに対し、席が前の真奈は眼鏡の奥の目を所在なさげに漂わせ、小さく呟く。
「どうしよう……もしも出会ったら私……」
「ねえ! 未結も昨日会ったんだよね? そいつ――『H』に!」
いちごに名前を呼ばれてビクリと肩を震わせたのが、小柄な未結である。
「あ、会ったって言っても一瞬見ただけだよ。怖くなってすぐ逃げちゃったから……」
真奈が、恐怖半分興味半分に未結に訊ねる。
「本当にあの、『H』だったの? もしかしてあの台詞を聞いたの?」
「そう、だけど……」未結は頷きかけてしかし困ったように、「でも、よく覚えてないし。夢とか、勘違いだったかもしれないから」と続けた。
「きっとそうよ。そうに決まっているわ。ええ」
真奈はそう自分に言い聞かせた。対していちごは「いやいや、『H』に間違いないでしょー」と不審者情報を面白がっているのだった。
学校に『H』の話題が出始めたのは二週間ほど前、新年度が始まったばかりのころだった。しかし、今では生徒の多くがその名を知る、都市伝説となっていた。
曰く……女子生徒が夜道を一人で歩いていると、突然背後からおそらく女のものであろう声が掛けられる。それに返事をして振り向くと、コートに身を包んだ何者かが立っている。そいつ――誰が呼んだか『H』――は次にこのように言うのだ。『赤が好き? 白が好き? 青が好き?』と。ここまではよくある怪談なのだが、不思議なのはこの問いに対して回答しても無視しても、問われた側は何の被害も受けないらしいということ。それというのも、次の日被害者らは口を揃えて『何でもない』とはぐらかすからだと言う。彼女たちの様子にも容姿にも別段おかしなところはなく、故に『H』には何もされていないと判断せざるを得ないのだ。だがしかし、『H』に出くわした者の数は確実に毎晩増えているらしい……。
そういう話なのだが、被害者が何も情報を漏らさないならば一体どのようにして『H』の存在が広まったのか、などといった都市伝説にありがちな矛盾点も存在し、結局噂は噂なのだと思われていた。しかし先生の口から不審者出没注意の話が出てしまっては、少なくとも『H』がいることだけは真実なのではないかと思えてしまっても無理はなかった。
加えて同日朝、このクラスにも『H』らしき人物を見たという者が現れていた。それが未結だった。未結自身は被害者ではなく、昨晩偶然にも例の台詞を曲がり角の向こうから聞いてしまっただけなのだという。
いちごは未結の煮え切らない証言を元に、こんな推理を繰り出した。
「……実は未結は本当は被害者で、だから『H』の話をはぐらかしてる! そうでしょ!?」
「ち、違うよ! あれが『H』かは分からないけど、少なくともわたしがやられたわけじゃないよ……」
「いちご、もうそれくらいにしてよ。未結は否定してるのだし、こんな話をしても意味なんて――」
「おやあ? もしかして真奈、怪談苦手系?」
しめしめと笑って真奈の顔を覗きこむが、磁石が反発するようにそっぽを向かれてしまう。
「そ、そうじゃないわ! ただ私は塾があって帰りが遅いから、不審者には会いたくないと思ってるだけよ!」
「だったら余計に話を聞いとくべきじゃない? 己を知り敵を知れば……何だっけ?」
「……そのことわざは今は関係ないと思うけれど」
「とにかく! あたしは未結から色々聞きたいの! さあ未結っ、洗いざらい白状してもらおうか!」
真奈のツッコミにもめげずにいちごは食い下がる。未結は余りの剣幕に顔を引き攣らせた。
しかしその盛り上がりに水を差す声が掛かった。
「――アホくさ」
つまらなそうに息を吐き、ガタンと椅子を鳴らして立ち上がったのは、波打つ長髪を茶に染めた晶であった。晶は校内でも名を知らぬ者はいないほどの問題児であった。その素行の悪さは教師たちが染髪などに対する指導を諦めたという事実が物語っている。また、毎晩のように夜遊びをしており、他校の男子不良グループともつるんでいた。
彼女は学校に来るのも珍しく、他のクラスメイトたちも晶のことは腫れ物扱い。そんな晶の突き刺すような一言には、如何ないちごであっても鎮まらざるを得なかった。
晶の落書きだらけの上履きが床を叩く音がする。そうして手提げ鞄をリュックサックのように背負った彼女は、教室から出て行った。
やがて、押し黙ってしまった皆が息を吹き返す。
「……ふぅ……びっくりした」
いちごの嘆息に、真奈と未結も同調する。
「あまり口にすべきではないけれど……私は彼女のこと、ちょっと苦手」
「わたしも。なんか、近づきづらくて……」
「晶、もう少し真面目に出来ないのかなー。真奈ほどじゃなくていいけど」
「それどういう意味よ!」
余計な一言に憤慨した真奈を見て笑ってから、未結は辺りをきょろきょろと気にしつつ立ち上がった。それに対し、いちごは真奈から顔を背けて訊ねる。
「どしたの?」
「ちょ、ちょっとおトイレに」
「じゃあついでにあたしも――」
「いいよ! 一人で行く!」
と言い切って、未結は教室を飛び出していった。
真奈は未結の背を追うために動いた視界に、時計を認めた。時刻は、真奈の通う塾の開講時間に近づいていた。彼女はこれ以上いちごに怒りを燃やすのをやめ、荷物を鞄に詰めだすのだった。
「あ。真奈、塾か」
「そうよ。悪いけど先に帰るわね」
「オッケー。あたしは未結のこと待ってるから」
そう別れを交わして、真奈は下校していく。
クラスメートは未だ数人教室内に残っていたが、いちごは未結が戻るまでの時間をお喋りで潰すことを選ばなかった。いたずらっ子のようにニヤニヤと笑いながら、抜き足差し足で廊下を歩く。
*
一日中、身体がムズムズして痒かった。普段よりも一枚余計だから、暑くて汗で気持ち悪かった。
でも代わりにずっと、恥ずかしさに近いドキドキを味わうことが出来たけど。
「……っはぁ……」
わたしはトイレの個室に駆けこむなり冬服のブレザーとワイシャツを脱ぎ捨てて、オレンジ色のワンピース水着の上半身を晒した。汗ばんだ首筋や脇の下、背中が空気に触れてひんやりとする。ただ、高校生の平均程度に膨らんだ胸の辺りには、湿った水着が張り付いてしまっている。
一息ついてからスカートを下ろす。普通の下着は今日は着て来てないから、こちらも脱ぐとすぐに水着だった。
制服たちを閉じた便座の蓋の上に畳んで置き、わたしは狭いスペースの限りにあのポーズの体勢を取った。
「……ハイグレ、ハイグレ」
どうしてこんなことで背筋がゾクゾクしてるのか。それはわたし自身でも分からない。
分かるのはその切っ掛けが、昨日の夜見たあの光景だってこと。
『H』と思われる人に双葉は黄色の水着姿にされて、「ハイグレ!」という掛け声と水着の足ぐりを両手でなぞるポーズを繰り返しするようになってしまった。それを偶然見てしまったわたしは、友人や自分の身の危険など蚊帳の外で、心のなかに変態じみた欲望が湧き上がってくるのを感じていた。
――わたしも、ああなってみたい。あれをしてみたい。
のぼせた意識を取り戻すとわたしは家に帰って、お母さんに「不審者に会ったから引き返してきた」と説明し、続けて「もう寝るから」と自分の部屋に近づかないよう釘を刺した。そして部屋に引きこもってから、噂話好きの親友、いちごにケータイから電話を掛けてみた。いちごが応答した受話器からは、時折車の走る音が聞こえてきた。ただそのとき確証のないこと――被害者が双葉であることや、『H』が季子に見えたこと、それと水着とポーズについて――は言わず、単に不審者に出くわした、とだけ報告した。わたしは『H』の都市伝説についてよく知らなかったから、きっと何も言わなくてもいちごが色々説明してくれると思ったのだった。予想は当たり、いちごが興奮気味に教えてくれた話と照らし合わせてみると、やっぱりあれは『H』だったらしかった。
昨日見たこと全てを現実だったと認めることはまだ出来ないけれど、とにかくわたしの中に芽生えた感情だけは嘘ではなかった。「また明日」と電話を切ってから押入れの衣装箪笥から取り出したのは、中学生の頃にレジャープールとかに着て行っていたオレンジ一色のワンピース水着。本当は腰に巻く用の同じ素材のスカートも付属しているけど、それは仕舞ったままにしておいた。
幸か不幸か、わたしの身長は当時と比べてもそんなに高さに差がない。強いて言えばちょっと胸は大きくなったけど。だから水着も、完全にぴっちりとしてしまってはいるもののなんとか着ることは出来たのだった。
そこまでは覚えてる。そこからは多分、また気を失っていたんだと思う。だって気がついたら朝で、わたしは水着を着たままベッドの上で大の字になっていたんだから。
目が覚めた後も水着を着ていたい欲が勝って、わたしはこうして制服の下に着込んできてしまった。汗は暑さだけじゃなく、緊張のせいでもあったんだと思う。
でも今はトイレの個室。小学生の男の子じゃないんだから、鍵の締まったトイレの中を覗きこんでくるような人はいない。だから声にさえ気をつければ安心して水着姿になることが出来る。まあ、異常に長い時間籠っていたら不審がられるかもしれないけど。
意識を失うまで気持ちよさにのめり込むことだけはしないよう、気を付けつつ。
「……ハイ、グレ、ハイ、グレ」
妄想の中の双葉と同じポーズを何度もとる。湿った水着が身体にサリサリと擦りつけられて、そうされた部分が熱を帯びていく。
感覚が研ぎ澄まされて首から下に集中していく代わりに、目の前がぼうっとぼやけて頭にも靄がかかっていった。この感じは、ダメなやつ。
――このままじゃまたトんじゃう。
でも、意識の不確かな脳の出した「止まれ」という命令は、ハイグレのポーズを繰り返す身体には聞き入れてもらえなかった。
「ハイグレ、ハイグレ……!」
お願い止まって! こんな所で、こんな格好で……こんな、時、に――
「――未結発けー……ん? んん!?」
頭上から降り注いだ声に、わたしは咄嗟に首を上げた。そしてハッキリした視界に、いちごの驚く顔を捉えたのだった。わたしといちごの視線が正面から交錯する。
「い、ちご……!」
多分、わたしの表情は絶望に凍りついていたと思う。それでいて頭の中だけはフル回転。どう取り繕えばこの場を乗りきれるだろう。息をするのも忘れて、一瞬のうちに考えた。
事実としてもう水着姿でトイレにいる場面は見られてしまった――っていうか何でいきなり隣の個室から壁越しに身を乗り出して来るのよ――のだから、それは覆せない。とすると水着を来ていても変じゃない理由が必要なんだけど、今は夏のプールの時期でもないし、スイミングスクールに通っているわけでもないから、そういう真っ当にして真っ赤なウソは使えない。かと言って水着姿で変なポーズするのが気持ちいいんですなんて白状したら日には口の軽いいちごのこと、わたしは学校の中から居場所を失うことになる。それだけは絶対にダメだ。……そうだ、そもそもこうなったのは昨日の『H』のせい。双葉のように『H』にやられたんだと言えばいい。うん、そうしよう。
「えっと、これは……ね」
「これは?」
「……『H』に」
「『H』に?」
ここまで言ってまた詰まる。昨日も今日も、わたしは『H』には直接会ってないという設定で通している。なのにこの期に及んでそれをひっくり返したら、少なくとも大嘘つきであることを認めたことになる。加えて双葉まで――今日見かけたときには普段通りを装っていた双葉まで――巻き込んで迷惑を掛けることになるかもしれない。
なら、どうしよう。もうわたしが幾らかは嘘をついたことは認めるしかない。その上で本当のことを少し話しつつ更に嘘を重ねて、いちごを騙してこの場を凌ぐ。そうするしかない。
意を決し、わたしは続きを口にした。
「『H』にやられないようにするための、対策なの」
「対策!? 水着が!? ねぇどういうこと未結っ!」
予想通り食いついてきたいちご。どうか騙しきれますようにと心のなかで呟いて、
「先に謝らせて。わたし、ちょっと嘘ついてた。ごめんなさい」
いちごの頭に「?」が浮かぶ。それから思い切って壁と天井との隙間を乗り越えてくると、わたしの個室内に勢いよく着地してきた。ただでさえ狭いスペースが更に窮屈になる。だけどいちごはそんなことを気にする様子もなく、続きをせがんできた。
「昨日本当にわたしが見たのは、『H』が誰かに話しかけているところだったの。夢とか幻じゃなくて、あれは間違いなく『H』だった」
「だろうねー。あたしは最初から信じてたし。未結が見たのは『H』だったって」
あ、あれ? 怒られなかった。まあいいや、ここからが腕の見せどころだ。
「それで、ここからは隠してたことなんだけど。『黒が好き? 黄色が好き? それとも青が好き?』、そう『H』に聞かれた相手の女の子は、あることをしてみせた。そうしたら、『H』はそれ以上何もしないで去っていったの」
「あること?」
「……えっとね。その子はいきなり着ていた服を脱いで、黄色のワンピースの水着姿になったんだ」
「未結と同じだ!」
その茶々にわたしは一瞬怯む。
「そ、そして『H』に向かって、『ハイグレ!』って叫んで――こういうポーズをしたの」
大股を開いて水着の線をなぞる動きを、友達に見せつける。とんでもなく恥ずかしかったけど、背に腹は代えられない。さしものいちごも、これにはキョトンとしてしまう。
「……本当に?」
「本当っ! こんなこと言っても信じてくれないだろうから、黙ってたけど……」
よし、これで隠し事の大義名分が出来た。あとはいちごが信じてくれるかだけど。
「――ううん、信じる。多分その人も未結みたいに、『H』対策の方法を知ってたんだ。だから夜出歩くときに水着を着込んでた。なるほどねー……」
上手く行った! こんな突拍子もない話を、いちごは自分で勝手に納得してくれたみたいだった。
安心のせいでつい笑いそうになるのをこらえて、わたしは何度も頷く。いちごの推理は続く。
「それで未結も真似して、『H』対策をしてたってことね。『H』も目撃者がいるって知ったら、きっとすぐにでも襲ってくるだろうし」
「そ、そう! ちゃんと練習しておかないといけないから」
「けど……こんなことで『H』が帰ってくれるなんてビックリ仰天だよ。『ハイグレ』、だっけ? 遭ったらそれを唱えればいいんだ?」
「あと、こういうワンピースの水着で、こういうポーズも」
わたしはもう一度、スッとハイグレの動きをしてみせた。するといちごは少し視線を逸らして、
「改めて見るとめっちゃ恥ずかしいポーズじゃん。未結は平気なの?」
「へ、平気なわけないよっ!」
危ない危ない、なんだかもう自分の中でハイグレポーズをすることが普通になっているみたいだった。
いちごは何かを思い出すように腕を組んで、天井を見上げる。口が「うちにあったかな……」という呟きを漏らし、それから大きく頷いて言った。
「でも良かった。これで安心してやれるし」
「何を?」
「何って、決まってるじゃん!」ビシッと指をこちらに突きつけて、「『H』探し! あたし、昨日も学校周辺を調査してたんだ。正直本当に『H』に遭ったらどうしようとは思ってたんだけど、これで今晩からはいつ遭っても大丈夫でしょ?」
自信満々に宣言するいちご。つまり、不審者を探して夜出歩くけど、もしも遭ったときのために水着を着込んでおくってこと? その対策は、わたしの完全な出任せなのに。
脳裏に、『H』に出くわして水着を晒し、それでも問答無用であのピンクの光線を浴びせられるいちごの姿が浮かんできた。そうだよ、そうなるに決まっているのに。
でも今更また撤回なんて出来ない。すっかり対策を信じきってしまったいちごを止めることは、もう出来ない。
「あとは、このことは皆に教えなきゃ。『H』を怖がってる子、意外と多いっぽいからねー」
「そうだったの?」
「まあね。やっぱ正体不明って怖くない? けどさ、対処法さえ分かってれば、どんだけ恥ずかしくても怖くはないし。――さ、教室にはどんだけ残ってるかなっと!」
「え、ちょっ――」
嬉しそうに勢い良く個室のドアを開け放ち、トイレを駆けて出て行くいちご。その足音を耳にして、わたしは一人水着姿で後悔をした。
わたしはもしかしたら、とんでもない嘘をついてしまったのかもしれない。
*続く*
今回のインスパイア元レス様は(記事更新時の現行スレの)、
としあき 15/04/19(日)20:33:17 No.20251932
及びここまでの「不審者」「都市伝説」系の流れの書き込みをされた方々です。ありがとうございます
インスパイアと言うほど流れを汲めた内容になっていないのですが、それは実はこの部分が「前日譚」だからです。つまりこの後に本編があるのです
初めにレスから設定を組んで2000字ほど序盤を書き進めたものの、それよりまずその前日譚があった方がいいなと思い中断してそれを書き上げた、という経緯です
なので後日公開の本編の冒頭部分はまさに"物語の書き出し"っぽい書き方になっています。多分修正しないので断っておきます
本編ではちゃんとレスにあったようなシーンを書きますので、しばらくお待ち下さい
……急ごしらえの走り書きの文章の出来って、ひと目で分かるくらい粗雑ですね……。本編ではもう少し頑張ります
自分も、とっしーの無限の妄想力&行動力にはいつもいつも助けてもらっています
改めて感謝の意をば!
ハイグレサボテンもすごくいいですな。けど、どうしても怪人系は文字媒体では描きづらいですからね
自分は自分にしたいこと出来ることで、読者様方に妄想を作品の形にして還元していきたいなと思っています
……うーん。こういう綺麗事こそブログ一周年記事で言うべきなような。まあいいか
もうすぐブログ開設一周年ですが、半年記念や映画21周年記念ではスクリプトを組んだくせに、今回ははっきり申し上げて何も用意してないです
ちょっと目論んでいたことはあったんですけどね。上手く行きませんでした
なのでせめて『都市伝説』か『帝後学園』かその他の続きかを更新できればなと考えています
もちろんそれまでに書き上げられれば、勿体ぶらずにアップします
ではまたー
【2015/04/22】
一周年に合わせての更新です
スレに上がったネタをまとめているメモを見ていたら、既に2年近く前に都市伝説の(しかもこの前のレスとほぼクリソツな内容の)レスがありましたので、ヘッダーだけご紹介します
としあき 13/06/30(日)01:00:34 No.18761238
歴史は繰り返すと言うかなんというか。もしかして書いた方は同一人物なんでしょうか
更にこちらからは、「光線への対処法は前もって水着を着込むこと」という案をいただきました。正確にはメモ確認の際に完全なるネタかぶりに気付いたので掲載します
としあき 14/07/19(土)00:10:13 No.19700584
本当はもう少し、あるいは最後まで書き進めるつもりだったのですが、結局間に合わなかったのでここまでとさせていただきます
話のキモとなるのはここからですね。さて、いちごは今晩どうなるのでしょう
続きはもうしばらくお待ちくださいです
【2015/05/03】
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tag : インスパイア
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おお……これはまた続きが気になる感じですね!
襲われた双葉がどうなるのか、どうして『H』が都市伝説化しているのか……香取犬さんの話は続きが気になるものばかりなので、どの話でも次が楽しみです!
次はこの小説の続きを書くのか、他の小説の続きを書くのかはわかりませんが、頑張ってください!
襲われた双葉がどうなるのか、どうして『H』が都市伝説化しているのか……香取犬さんの話は続きが気になるものばかりなので、どの話でも次が楽しみです!
次はこの小説の続きを書くのか、他の小説の続きを書くのかはわかりませんが、頑張ってください!